敬天愛人フォーラム21 西郷隆盛に学ぶ
会について

生誕200年・没後150年に寄せて

2027年に没後150年、2028年に生誕200年。当会の生誕祭も2027年12月に26回目を迎えます。

西郷隆盛生誕祭の垂れ幕と上野公園の銅像
上野公園の西郷隆盛銅像前で執り行う生誕祭

2027年、西郷南洲翁は没後150年を迎えます。そして翌2028年1月、生誕200年。当会が上野公園の銅像前で執り行ってきた生誕祭も、2027年12月に26回目を数えます。

この節目を前に、当会が長く伝えてきた「敬天愛人」の教えを、あらためて多くの方と分かち合いたいと考えています。

これからの節目

2026年12月6日 生誕祭199歳(25回目)
2027年9月24日 没後150年
2027年12月 生誕200年祭(26回目)
2028年1月23日 生誕200年
2028年12月 上野銅像建立130年

「生誕200年」は、いつなのか

節目が近づくにつれ、「西郷さんの生誕200年は結局いつなのか」という問いを耳にします。12月と言う人もあれば、1月23日と言う人もある。どちらも間違いではありません。暦の数え方が違うのです。

西郷南洲翁が生まれたのは、文政10年12月7日。当時の日本が用いていた旧暦(太陰太陽暦)による日付です。これを現在の新暦(グレゴリオ暦)に換算すると、1828年1月23日にあたります。同じ一日を、どちらの暦で呼ぶかの違いにすぎません。

当会の生誕祭は、翁が生きた時代の日付である旧暦12月7日を大切にし、毎年12月に上野公園の銅像前で執り行ってきました。いっぽう鹿児島市などが「生誕200年は2028年1月23日」とするのは、新暦に換算した日付を採っているためです。

いずれの数え方であっても、翁の生誕から200年という重みは変わりません。当会は当会の流儀で、これまで通り12月に祝いを捧げます。

24年、上野の銅像前で

当会の生誕祭は、上野恩賜公園の西郷隆盛銅像前で毎年12月に執り行われてきました。令和7年12月の生誕祭198歳で24回目を数えます。

出羽三山の山伏によるほら貝の演奏で開幕し、参加者全員で「敬天愛人の教え」を唱和する。祭文を奏上し、玉串を捧げる。そして「鹿児島おはら節」を全員で踊る。銅像の周りには国内外からの観光客が足を止め、その視線のなかで参加者は笑顔を交わします。この光景を、当会は24年にわたって重ねてきました。

これまでの生誕祭には、西郷家直系四代目の西郷吉太郎氏、勝海舟の玄孫にあたる高山みな子氏をはじめ、公益財団法人西郷南洲顕彰会(鹿児島市)、和泊西郷南洲顕彰会(沖永良部島)など、翁ゆかりの方々にお力添えをいただいてきました。

過去の様子は西郷隆盛生誕祭の記録でご覧いただけます。

没後150年に寄せて

明治10年9月24日、翁は鹿児島の城山で生涯を閉じました。2027年9月24日で、その日から150年になります。

翁の死後、その生き方を語り継いだのは、かならずしも味方だった人々ばかりではありません。江戸無血開城で相対した勝海舟は「肝胆相照らす」と評し、福沢諭吉は『丁丑公論』で西南戦争の薩軍を弁護しました。内村鑑三は『代表的日本人』で翁を世界へ紹介し、米国の政治家ジェニングス・ブライアンは「敬天愛人」の句に感服して鹿児島を訪ねています。

150年を経てなお語り継がれてきたことの意味を、この節目にあらためて見つめたいと考えています。

『南洲翁遺訓』を読む

翁は生涯に一冊の著書も残しませんでした。今日わたしたちが翁の言葉として読む『南洲翁遺訓』は、旧庄内藩の関係者が翁から直接聞いた話をまとめ、明治23年に刊行したものです。

その全41条には、為政者の心得、財政のあり方、外国との交わり、そして天と人の道が説かれています。「敬天愛人」の語が現れるのは第二十一条。第二十四条では「天は人も我も同一に愛し給ふ故、我を愛する心を以て人を愛する也」と、その心が語られます。

当会は月例学習会でこの遺訓を読み合ってきました。節目に向けて、全41条をあらためて一条ずつ読み解いてまいります。

ご案内

生誕200年祭(2027年12月)の開催概要は、決まり次第このページと活動案内でお知らせします。まずは本年12月6日の生誕祭199歳に、どうぞお越しください。